連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第2回講義レポート
京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催します。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。
第2回は中国思想・日本思想を専門とする大場一央氏による講義です。大場氏は、松平定信が行った寛政の改革を手がかりに、江戸社会がどのように危機へ向き合い、社会の立て直しを図ったのかを取り上げました。先代から続く社会のゆらぎに対し、定信がどのような視点で政策を構想したのか、そしてその背景にどのような思想的基盤があったのかが示され、江戸という時代のレジリエンスに光が当てられました。
【開催概要】
日時: 2025 年 10月 18 日(土)16:00-18:00
登壇者: 大場 一央(早稲田大学法学部 非常勤講師)
場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1
テーマ: 松平定信の国家経営戦略−レジリエンスとしての「寛政の改革」
家康の国家構想と朱子学による国造り
大場氏は、徳川幕府の明確な国家統治プランについてから講義を始めました。そのプランとは、「すべての日本人が日本人として平等になり、日本中どこへ行っても日本を感じることができる“風景”を作り出すこと」でした。
それまでの日本には奴隷身分が存在しており、彼らは海外に売り飛ばされることもありました。奴隷身分を解放するために家康は、本百姓制を敷き、日本人の80%を農民にし、彼らに田畑を提供して開墾させることで、日本全国に農村地帯を作り、「日本」的な風景を広げていったのです。

さらに家康は、思想面でも日本の独自性を作り上げようとします。その時に協力を仰いだのが朱子学者である藤原惺窩と林羅山です。朱子学は一人一人の人間の幸福と社会の安定を考える学問です。人間はある文脈の中で必ず一定の「立場」に立ちます。父は子供の「父」という立場、教師は生徒の「教師」という立場に位置するように、この人間関係のことを「人倫」、その中で果たすべき役割を「倫理」と朱子学では言います。つまり、日々の生活の中で自らの役割を見出し、自分らしさを見つけることの重要性が説かれていたのです。
そして、この考えを用いて家康は日本を発展させようとしたのです。具体的に家康は、武士に対して人々の模範となり、人倫と倫理に基づいた国づくりをせよと命令しました。その結果、力による支配を当然としたそれまでの武士像とは異なり、高いモラルを備えた武士の姿が形づくられていきます。こうした価値観こそが、家康の段階で“日本という国の形と心”として整えられ、それ以降の政治にも継承されていったのです。
保科正之と新井白石:民富増進と貨幣改革
第四代将軍家綱に仕えた元会津藩主の朱子学者、保科正之は政治の理(「理」とは朱子学で物事の筋道という意味)を民富(庶民の財産)を増やしていくことだと考えました。正之は会津藩ですでに社倉法(倉庫に種もみや米を貯蔵させる)を実践し、飢饉のときにそれらを年金として利用したり、飢饉の際に低利率で貸し付けたりしていました。
江戸の大火の際には、江戸城再建に大反対し、庶民の生活の再建にこだわり、上野広小路や玉川上水、五街道、そして東廻り航路や西廻り航路などのインフラの整備に資金を投下しました。この日本全体のインフラ整備により、各地の名産品、家具などが広まり、「日本中どこへ行っても日本を感じることができる”風景”を作り出す」という家康の思想を継承しました。
保科正之を引き継いだ新井白石は第六代、第七代将軍に仕え、正徳の治を行いました。白石は学問、武芸を奨励し、武士の一層の洗練に努めました。かつての定説では、貨幣の純化によりデフレ政策を行い景気を悪化させたと誤解されていましたが、それは前任の荻原重秀が貨幣を増やし過ぎたことに起因した経済の混乱を抑えようとしたものでした。
荻原の政策により、庶民のマネーリテラシーは崩壊し、また農民が借金を返せず、都市に浮浪するようになり、本百姓制も崩壊しかけていました。そこで白石は、増えすぎた貨幣の最適化を目指して、金貨・銀貨を回収しながら、紙幣を発行することで、緩やかに経済を正常な状態へ戻そうとしたのです。しかしこの改革は途上に終わり、のち反白石派に担がれた第八代将軍吉宗が紙幣を発行せずして貨幣を回収してしまい、デフレ状態に陥ってしまいました。
享保の改革と田沼政治:倹約主義からバブルと格差へ
吉宗は、享保の改革で倹約令を出し、貨幣での取引を制限しようとします。米の年貢が収入源であった幕府にとって、貨幣での取引が増えて貨幣の価値が上がることで、米の価値、すなわち幕府の収入が下がってしまうためでした。さらに、年貢を増やすために、米の増産を目的に新田開発を行いました。この一連の政策は、幕府の財産だけに目を向け、民富を無視した、「財政再建主義」的なものでした。
吉宗の側近として活躍した田沼意次は吉宗路線を継承します。田沼は徹底した倹約令を行い、新田開発の一環で干拓事業を行います。さらに、デフレを克服するために、大量の銀を金と偽って発行し、それを民間の事業者にばらまきました。資本の増えた民間の事業者は年貢の運搬事業などに参入します。
これにより、幕府は非常にコストの高かった年貢の運搬を手放すことができましたが、庶民は余計な手数料を取られることになりました。商人だけが儲かり、物価上昇に苦しむ庶民の暮らしは貧しくなる一方でした。
農村では特に負担が重く、生活のために都市へ流出する人々が増え、都市には富が集中しました。結果として、都市では富裕商人と貧困層の格差が広がり、地方の衰退と都市の過密化が進んでいきました。こうした格差と農村の疲弊のなかで天明の大飢饉が起こり、社会は大混乱に陥りました。田沼は十分な対策を取れずに批判を浴び、こうして田沼時代は幕を閉じることになります。
定信の経済政策と社会改革
ここからいよいよ松平定信について講義が展開します。定信は徳川吉宗の孫にあたりますが、松平家の養子に出され、「厄介」者として育てられます。私物は紙入れだけしか許されず、学問を唯一の楽しみとしていました。1年で1000冊以上も読破する読書家であり、その暮らしの中で、自分自身という人間の居場所を考え、誰よりも立場に則り、誰よりも自分らしく生きようとしました。
天明の大飢饉の際、定信は白河藩の藩主で、社倉法を実践していた会津藩から米を輸送し、食料の供給に努めたことで、白河藩から餓死者は出ませんでした。また、定信も倹約令を行いましたが、吉宗が行ったものとは異なり、藩の無駄を徹底的に減らし、余った米や金を領民に配ったのです。
この一連の政策が幕府の目に留まり、幕府に登用された定信は倹約令を幕府でも実践し、大奥の予算を7割削るなど、政府の無駄を削減し、既得権益を排除します。また、囲米によって日本全国で社倉法を実践します。さらに、江戸で1600あった町に対して、日々の経費を節約させ、その節約分の7割を積み立てる七分積金を行いました。そして定信は、節約で捻出された資金を、田沼のように大商人に貸し出すのではなく、中小事業者、新規事業者に低利で貸し付けます。またその金利で今度は米を買い、浅草の米倉にため込みます。この米倉は備蓄食料として、2、3年で満杯になりました。定信が意識したのは人々がそれぞれの立場や役割の中で無理なく暮らしていける社会を取り戻すことでした。それは朱子学に基づいた家康の思想を継承したものであると、大場氏は家康からのつながりを強調します。
他方で、定信は大商人を力で押さえつけたり、彼らを淘汰したりすることを望んだわけではありませんでした。むしろ、米価の急激な変動を防ぐために、米相場の調査や分析を大商人に依頼し、社会の安定に協力させています。また、一定の負担を幕府に納めることを条件に、商人たちが自らの資金を商取引や融資に活かすことも認めました。大商人を潰して、その分を庶民に回すというゼロサム的な政策ではなく、社会全体が無理なく暮らせるように、経済と秩序のバランスを整えようとした政策だったのです。
心と学問による人づくりと将来への視野
何よりも心を重んじた定信は昌平坂学問所(湯島聖堂)を整備し、朱子学を庶民に学ばせました。学問の奨励により、江戸では空前の学問ブームが起こります。藩校や私塾、寺子屋が急増するのです。識字率も含めた学問のレベルが急上昇し、一人ひとりの思考力を上げることにも成功しました。この状態になって、定信は再び倹約令を出します。それは庶民に対して、「今一度必要なものは何かを考えよ」というメッセージであり、景気が良くなっているからこそ、国民のマネーリテラシーの向上に努めたのでした。
定信は経済政策にとどまらず国防政策でも、外国の脅威にいち早く気づき、海軍や陸軍の必要性を唱えます。およそ30年後にペリーが来航した際の定信の予想は、現実のものになったのです。そして、その時外交交渉を担った人材の多くが昌平坂学問所の出身者だったのです。
明治に入り、渋沢栄一が東京の近代化を行う際の資金には、定信が積み立てた七分積金を多く当てています。江戸から明治にかけての近代化は定信の遺伝子なしでは成し遂げることはできなかったかもしれません。こうしてみると、定信の政策、理念が日本の歴史、生き方に大きな影響を及ぼしていると最後に大場氏はまとめました。
現代の政治は国民に目を向けた政治を行っているか、また日本人としての当たり前の生活が立ち行かなくなっていないか、より良い未来について考えるきっかけになる講義でした。


