連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第4回講義レポート

第4回は、九州大学の施光恒教授をお迎えし、『日本で優勢な自律性の理念とそこから生まれる社会秩序』と題して講義が行われました。施教授は、日本の社会秩序が西洋的な「法と権力」ではなく、民間に根付いた「文化」や高い規範意識に支えられていると指摘します。本講義では、他者や「お天道様」の視点を内面化して自らを律する日本人の精神構造を紐解きながら、グローバル化や少子化の中で揺らぐこの秩序を再活性化させるために、経済的な基盤である家庭や地域社会の再生がいかに重要であるかが論じられました。

【開催概要】

日時: 2025年12月20日(土)16:00-18:00

登壇者: 施 光恒(九州大学大学院比較社会文化研究院教授)

場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1

テーマ: 日本で優勢な自律性の理念とそこから生まれる社会秩序――その意義と可能性

日本型秩序の特異性

 施教授は冒頭で、政治学において、社会の「秩序」とは通常、国家による「法」と「権力」によって形成されるものだと定義されます。しかし、日本の秩序はこの一般的な定義には当てはまらない側面が強いと指摘しました。日本の治安の良さ、交通機関の正確さ、街の清潔さなどは、海外からもその質の高さが広く認識されています。その一例として、ジョージア大使ティムラズ・レジャバ氏の日本人観を紹介します。レジャバ氏は、日本の凄みは政治家や官僚といったエリート層にあるのではなく、むしろ「一般庶民」の質の高さにあると伝えています。

施教授は、こうした日本人の特性が非常時においても見事に発揮された例として、東日本大震災での対応を挙げました。海外であれば、災害時などの無秩序状態ではまず軍隊が治安維持に動きます。日本では、警察機能が麻痺した状況下でも暴動は起きず、市民たちは規律正しく助け合って生活しました。コロナ禍において、罰則のない「自粛要請」だけで多くの国民が規律を守ったことも同様です。

続いて、王雲海著『「権力社会」中国と「文化社会」日本』を引き合いに、その構造を説明します。王氏によれば、中国の秩序は「国家権力」がゼロから作り上げたものであり、権力から自立した文化は存在しません。対して日本は、権力や法律ができる以前から、民間に共有されている常識や慣習といった「文化」が存在し、それが第一義的に社会の秩序を形成している「文化社会」であると言います。

王氏の議論を受け、この「文化社会」の正体こそが、私たち一人ひとりの内面から生まれる「日本型秩序」であるとし、その生成原理を次のように定義しました。「ひとり一人が敏感に他者の観点を感受しつつ、他者との関係性、ならびに置かれた状況において自分の思考や行為の適切さ(適宜性)をチェック(吟味)しつつ、必要であれば修正を行い、自己と状況との調和を保つよう努めるところから生成する秩序」と概括しました。

日本人の自己観、道徳観

続いて、上記の日本型秩序を作り上げる日本人の内面に目を向けます。欧米の自己観では、状況や文脈から独立した実体的存在として自己が規定されますが、日本人の自己観では、自己は他者との関係や状況の中に規定されるのです。

この違いを説明するため、施教授は言語における一人称に注目します。欧米言語の一人称(Iなど)は基本的に一つしかないのに対して、日本語の一人称(私、僕、俺、自分など)は状況や他者との関係によって無数に変化します。つまり欧米言語は自己認識から状況認識が生まれる一方、日本語は状況認識をして初めて自己認識が生まれるのです。 日本人は状況や他者との関係性に応じて、言葉遣いや振る舞いを変えていかなければなりません。

施教授は自身の体験として、研究室に所属する留学生が日本語を学んでいくと、性格が丸く、柔らかくなっていく傾向があると述べました。これは言語学者の鈴木孝夫氏が提唱した「タタミゼ効果」と呼ばれるもので、日本語を話すことで他者との関係性への配慮が自然と身につくためだと説明しました。

続いて日本の道徳観を、普遍的な公正や正義といった原理を重視する欧米の道徳観と対比し、状況重視の道徳観であると述べました。この違いは学校教育にも表れています。欧米の学校では、正義や権利などの概念を理解させ、それに即した行動をとることを教えます。一方、日本では他者の気持ちや期待を状況ごとに臨機応変に読み取り、行動することが重視されます。具体的には国語の授業で生徒に作文をさせる際、思いやりや共感能力(感情移入)を重視しています。また、日本の学校では話し合いや反省の場を設けることが多いと施教授は指摘します。その例として、施教授は自身が小学生時代に女子児童の髪を引っ張ってしまった際のエピソードを紹介しました。単に一方を叱るのではなく、クラス全員での長い話し合いの場を設け、加害者・被害者双方の気持ちを深く考えさせられたと言います。

施教授は、これらの教育の例から、日本の子供の「成熟」を「状況における様々な他者の視点を感情移入能力の発揮によって内面化し、その内面化された多様な視点と照らして、視野を広げ、自己の欠点を反省・自己批判により見出し、周囲の状況に真に適合的な状態に至るよう絶えず改善を続けていく一種の弁証法的な過程」として定義しました。

心理療法に表われる日本の伝統的人間観

この「成熟」の概念を補足して表している例として、日本的な心理療法に言及します。施教授は「内観法」という心理療法を実際に寺院で体験した話を述べました。内観法とは、1週間、スマホや活字を読むことを禁止された状態で、自分に関わる重要な他者を設定し、その人に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を年代に区切って思い起こすというものです。これを繰り返すことで、人間というのは自分一人で生きているのではなく、他者との支え合いの中に存在しているという自覚が生まれ、回復に至ることが期待されています。施教授も最初は半信半疑でしたが、自分を他者の目から見ることを通じて、偏った見方が矯正され、実際に元気になった気がしたと述べました。

内観法は、自己中心的な見方に陥り、他者の視点が欠けてしまった場合に行われる療法ですが、対照的に、過剰に他人の目や世間の目を気にするようになってしまった人に対しては「森田療法」があります。森田療法は、人の視線が気になりすぎて身動きが取れなくなってしまった神経質な人に対し、不安や恐怖をあるがままに受け入れながら、なすべきことをなすように指導します。

この二つの心理療法から導かれることは、日本社会が求める人間像のバランスです。他者に配慮することは重要ですが、それが過剰になっても不足しても好ましくなく、他者の視点を適宜参照しながら自身をコントロールしていくことが求められているのです。

多様な他者の視点

こうした特徴は、日本の同調主義や主体性のなさを表していると言われることもある一方で、施教授は様々な他者の視点から自身を省みて、より良いあり方を模索しているのだと解釈すべきだと強調しました。そこで日本人が意識すべき『他者』の象徴として挙げられたのが『お天道様』です。単に世間の顔色をうかがう(同調)のではなく、事情をすべて知っている超越的な第三者(お天道様)に恥じない行動をとることこそが、日本的な『自律』なのです。さらに施教授は、柳田国男や小泉八雲の書籍を例に、死者や先祖の存在に注目します。日本人は生きている他者だけでなく、亡くなった先祖たちの存在を意識して、自身の生き方を見つめ、律してきたのです。そうした意識が自分だけではなく他者への配慮を重んじるという日本型の秩序を形成してきたと施教授は指摘します。

日本型秩序の再活性化に向けて

最後に、こうした伝統的な日本型秩序が様々な問題によって崩れつつあると議論を展開していきます。日本型の秩序の維持は、家庭や学校での初等教育が担ってきました。しかし、家庭は少子化や経済的貧困によって機能が弱くなり、小学校は統廃合によって減少しています。さらに、教科外の活動(特別活動)や部活動といった秩序を学ぶ機会が減っていることに対しても危機感を募らせます。では、失われつつある秩序感覚を伝えていくためにはどうすればよいのか。

施教授は、アメリカの保守派論客オーレン・キャスの言葉を引き合いに『家庭や地域社会を支えうる十分な賃金を払える雇用』を作り出すことこそが、日本型秩序の文化的基盤を守るために必要であると述べ、講義をまとめられました。

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