連続講座「2025年度・レジリエンス━破綻と回復の境界」第6回講義レポート
京都大学経営管理大学院レジリエンス経営科学研究寄附講座では、昨年度に引き続き、レジリエンスについて考える連続講座を開催しています。今年度も各講義100人を超える方々からのお申し込みをいただき、改めて非常に多くの方が関心を寄せているテーマであることを再確認いたしました。ご参加できない方やもう一度講義を見直したい方に向けて、毎回の講義動画を公開いたします。
今年度最終回となる第6回は、京都大学工学研究科の川端祐一郎准教授による講義です。「リスク過敏社会と排除の論理」と題し、統計的には安全になった現代社会がなぜリスクに過敏になるのかを分析した上で、ITを活用した監視や排除のメカニズムを論じ、ブロックチェーンに代表される技術的解決策の限界と、人間同士の信頼の再構築こそがレジリエンスの基盤であると説きました。
【開催概要】
日時:2026年3月21日(土)16:00-18:00
登壇者:川端祐一郎准教授(京都大学工学研究科都市社会工学専攻)
場所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館1階 講義室1
テーマ:リスク過敏社会と排除の論理
安全の追求が生む逆説理
川端准教授はまず、自身の専門である防災分野の具体例から議論を始めました。東日本大震災後に宮城県に建設された巨大防潮堤は、津波を防ぐ目的を持ちながらも、住民が親しんできた海辺の風景を奪い、地元から強い反発を受けています。また、津波の際に家族を助けに行かず一人一人がバラバラに逃げることで生存者数を最大化するという「津波てんでんこ」の考え方についても、京都大学の大西正光教授らの研究を紹介しつつ、再考を促しました。

確かに助けに行って自分も津波にのまれれば損失は大きい。しかし、津波がどこまで来るかは来てみなければわからない以上、「本当は助けに行けたのに行かなかった」という後悔は必ず生じます。安全という目的に最適化するだけでは、人間が抱える後悔の問題は解決できないのだと述べました。
こうした防災の事例を導入としたうえで、現代社会のリスクの全体像が示されました。交通事故死亡者数、乳児死亡率、犯罪件数のグラフを提示し、いずれも1970年代から大幅に減少していることを確認しました。統計的に見れば、我々は歴史上かつてないほど安全な社会を生きています。ところが、社会が安全になった一方で二つの新しい問題が浮上していると指摘しました。一つは、原発事故や環境汚染のように、専門家にしか評価できない巨大なリスクが増えていること。もう一つは、逆に小さなリスクに対して社会が過敏になっていることです。東京23区での犬の散歩禁止、公園の遊具400カ所一斉撤去、花火のできる場所の激減など、一昔前までは許容されていた”リスク”についての具体例を次々と挙げました。
リスク社会と排除の論理
こうした現象の理論的背景として、まず社会学者バリー・グラスナーの「恐怖の文化」が紹介されました。グラスナーによれば、メディアはリスクを誇張して商売をし、政治家もリスクをネタに票を集めている。そうした社会不安のばらまきが人々の不信感を高めているのではないかという指摘です。因果関係の立証は難しいものの、捉え方としては興味深いと川端准教授は述べました。
では、なぜこのような社会になったのか。その構造的な説明として、ウルリッヒ・ベックの「リスク社会論」が参照されました。ベックによれば、豊かさや平等がある程度達成された1970年代以降、社会は個人主義化が進み、人々が団結して問題に対処することが難しくなりました。個人では手に負えないリスクに対して、企業や国が用意するシステムに頼るしかない状態が生まれています。さらに政治家もリスクの実態を理解できず、専門家の勧告をわからないまま追認するだけになった。こうして民主主義そのものが機能しにくくなっていると指摘しました。 続いて、犯罪学者ジョック・ヤングの議論が取り上げられました。かつての社会は犯罪者を刑罰や教育によって矯正し、社会に再統合する「包摂型」でした。ところが個人主義化やリスク管理の発想が浸透するにつれ、犯罪者は人間としてではなく統計的なリスクとして扱われ、社会から機械的に排除する方向へと変わっていきました。川端准教授は、交通違反などに対してSNS上で極端な厳罰を求める声が噴出する現象も、この排除型社会の表れだと述べました。
デジタル監視と信頼の再構築
排除の論理がデジタル技術と結びつくことで問題はさらに深刻化します。コロナ禍で導入された接触確認アプリ「COCOA」、中国の社会信用スコア構想、オランダで人権条約違反の判決が下されたリスクスコアシステム「SyRI」など、ITによって個人のリスクを点数化し管理する動きが各国で進んでいます。Amazonの採用AIが女性を不当に低く評価していた事例や、アメリカの再犯予測システムにおける人種差別の問題も紹介し、「統計的差別」の構造が解説されました。大多数の人は自分が差別される側になるとは思っていないため、全体のリスクが下がるならいいじゃないかと考えがちです。その結果、民主的な多数決のもとでこうしたシステムが導入されてしまう危険性があると警鐘を鳴らしました。
さらに、社会学者デヴィッド・ライアンの議論を引きながら、現代の監視はジョージ・オーウェル的な「外部の独裁者による監視」から質的に変化したと述べました。今や我々はSNSを通じて互いの情報を共有し合い、自らデータを企業や政府に提供しています。ライアンはこれを「監視は文化になった」と表現しています。IT企業はユーザーの行動履歴データをもとに行動モデルを構築し、広告に活用しています。誰かが悪意を持ってそうしているわけではなく、ユーザーのニーズに技術で最適化した結果、SNS依存や政治的意見の二極化といった問題が構造的に生まれていると論じました。
監視社会への抵抗として、IT業界には暗号技術を使って政府や企業の介入から身を守ろうとする思想が根づいており、その延長線上にブロックチェーンも生まれました。しかし川端准教授は、こうした技術的アプローチには限界があると指摘しました。ブロックチェーンの根本思想は「信頼なしで回る仕組み」を志向していますが、民主主義は市民同士の相互信頼を基盤に成り立っており、信頼を不要とする技術で民主主義をより良くすることはできないと述べました。
まとめ
川端准教授は最後に、暗号技術による防御も重要だが、本来目指すべきは「監視しなくても相手を信頼できる関係を築くこと」だと結論づけました。我々の文明は、市民同士の相互信頼や、行政機構・政治家に対する信頼という極めてパワフルな力の上に成り立っています。「信頼はもう成り立たない」という前提でブロックチェーンに走るのではなく、信頼を再び育て直す方向にこそ、リスク社会を乗り越える道があるのではないかと問いかけ、2025年度の連続講座を締めくくりました。


